ちいさな心とおおきな世界

悩める若者の雑記と旅行記。チェコ共和国プラハに留学中。

強盗にあいました。一番大切なものを失って心から打ちのめされるってこんな感じ

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突然ですが、記事の順番が前後してしまいます。読みづらくなって大変申し訳ありません。重要なお知らせというか重大な事件が起こったので先に書いた方がいいかなと思った次第です。お許しください。前の記事は順を追ってちゃんと書くので安心してください。また、諸事情で今回の記事は写真がありません。文字ばかりで読みづらいかもしれませんが、ぜひ最後まで読んであげてください。

 

前半は観光を振り返っているので飛ばしてもらっても大丈夫です。

 

 

ストックホルム町歩き

 

紆余曲折を経て2月8日現在スウェーデンのストックホルムに夜行バスで早朝着きました。若干の寝不足に目をこすりながらも、バス停で少し交通事情と観光場所を調べてからまずは宿へ向けて出発。中央のバスターミナルから割と遠いんですよねこれが。バックパック背負っても節約のために頑張って歩こうと試みるも寒すぎて3分で挫折。メトロを使って宿の最寄り駅までいく。Acco Hostelという宿なんだけど、ここ面白いのが全部メールで管理してて、メールに正面入り口の暗証番号、部屋番号、ベッドの番号、部屋の暗証番号など全部書いてあって、極端に言えばスタッフとの直接のやり取りは全くなくても大丈夫。なんか先進的だなあ〜〜

 

宿にてとりあえずケータイとカメラのバッテリーだけ充電してその間時間を潰す。なかなか充電が進まなくて、早く街に出たくて気がはやる。まだかまだか。

多少充電終わってないけどいいだろう。きっと大丈夫。そんなわけで10時前くらいに外出。空は曇りだけど綺麗な街並みを堪能しながら旧市街へととりあえず歩いていく。

 

ストックホルムは小さな島がそれぞれ近距離で繋がっているような形をしている。その中心となっているのが旧市街『ガムラスタン』エリアのある島。『魔女の宅急便』のモデルとなったと言われるくらい美しい街である。石畳に細かい路地が入り組み、両サイドを高さの均一なカラフルな建物が覆っている。テラスのあるおしゃれなカフェや、外から見るだけで素敵なギャラリー、数多くの教会や博物館が中世ヨーロッパの世界観を残す街並みに見事に詰まっている。

 

 

ストックホルムで一番狭いと言われているなんか有名な階段路地へ行き、閉まってて中へは入れなかったけれど尖塔の目立つ美しいドイツ教会を通り抜け、路地をふらふらと彷徨いながら中心広場と思われる場所へいく。ノーベル賞博物館の真裏には巨大な王宮とその目前に広がる入江が見える広場、そして大聖堂が立ち並んでいる。王宮でイケメンな衛兵さんの写真を撮り、大聖堂の中を覗かせてもらう。この大聖堂の作りは金色に輝く華美なもので、派手派手しいのはあまり得意ではないがそれでも思わず唸るような美しさだった。豪華で精錬されているという感じ。中にあった聖人ジョージが村を守るためにドラゴンを退治している像が印象的だった。

 

次にガムラスタンを抜けて北側へずっといくとマーケットがあるそうなのでとりあえず行って見ることに。この北側のエリアは随分と発展しているまさに新市街という感じの様相で、多くの人が行き交い、両サイドには多くのレストランやショップが立ち並んでいる。その発展具合におののきながらも、このストックホルムこそが北欧で最大の都市だということを思い出していた。

実際に行ってみたらマーケットは広場にちょっとした青果市場が広がっているだけで、活気も特になく、面白いものではなかった。まあ新市街が見れたからよしとしよう。このマーケットのある周囲の建物も何か有名なものだった気がするが忘れた。

 

このくらいでかなりお腹が空いていたので昨日に引き続き贅沢をしてマックにいくことにした。北欧に入ってからファーストフードも含めて外食というものを全くしていなかった。何と言ってもバカみたいに高いから。マックで普通に食べて700円くらいはする。いつもホステルでサンドイッチを作ったり、りんごやバナナやお菓子を持ち歩いて昼食や間食用にしていた。

 

マックでバカみたいにバーガー3つも食べて久々に『満腹』になって気分良く散歩を再開した。近くにあった名前もわからない教会へ入ったが、ここもかなり内装がかっこよくて好みだった。大聖堂よりもローカルな感じで少し厳か。規模もかなり大きかった。

 

そのまま市庁舎へ行き、海を眺めて、市庁舎前で遊ぶ修学旅行生たちだろうか?韓国人っぽい子供の大団体を眺めていた。この辺りからかなり晴れてきて、水に映る光の反射や市庁舎の柱の影がとても美しかった。水に面して建っているため、対岸からみたらより美しいだろうと予想して対岸へ回って写真撮っていた。この時歩いてたおじいさんとでっかい犬の組み合わせが逆光にめっちゃ映えててシャッターを切らずにはいられなかった。

 

そのままリッダーホルム教会というこの市庁舎の対岸の島にある、おそらくここで最大の教会を見に行った。少し丘の上にあったその教会の規模はこれまでのものよりも間違いなく大きく、期待して入り口へ行ったが残念ながらなぜか閉館。まあ仕方ないかな。

 

そして再び旧市街ガムラスタンを歩き横断してから向かった先は近代美術館。なんとここの常設展は無料らしい。しかもピカソ・ダリ・ワーホルなど有名すぎる画家の絵画を保有しているとのこと。いくしかない。今日の最後にいくと決めていた。16時くらいについたが、歩きすぎで足はクタクタだったが、想像以上に大きい美術館を目の当たりにして満足。中も常設展だけでもかなりのボリュームがあり、デザイン、建築から絵画、写真まで見尽くした。嘘だ。デザインのところは正直よくわからんから流し見したし、建築は模型などめちゃくちゃ面白かったけど説明とかは半分くらい読んでめんどくさくなってやめた。かなり疲れてたからね。

 

もちろんダリやワーホルら巨匠たちの作品はすごかったが、新しく印象的だったのがフィンランドの写真家ネッリ・パロマーキ。名前も知らなかったが、たった3作品だけ展示されていたモノクロのポートレイトに心奪われた。帰ったら絶対調べる。

 

そんなわけで閉館の18時までギリギリ見てて満足度はかなり高かった。やっぱり美術館は好きだし、これが無料なんだからすごい。

 

 

帰り道

 

夜行バスであまり寝れてない状態で、朝から一日中町の中を歩き続けて、更に美術館でも追い打ちのように見て回ってたから足はクタクタだった。なんなら油断するとつりそうなくらい。

 

トラムで宿まで帰ろうか迷ったけど、節約のためにやめた。この国のトラムは一回券が約600円とかいうありえん値段するから気安く使えない。嫌な制度だ。

 

しかもカメラの電池も案の定夕方くらいからもうない。最後のバッテリーの残り3%くらいだ。こんなクタクタで夜道をカメラもなしに宿まで3km以上歩くとかよくやるわ…とか思いながら歩き始める。しかし夜道は思った以上に美しくて絵になった。おかげで足は辛いが退屈せずに楽しめた。オレンジの少し薄暗い街灯の光とそれにひかる石畳、その奥に通じていく小さな路地。残りのバッテリーを節約しながらも要所要所で撮ったりしながら歩いていた。

 

 

 

 

そしてそれは突然だった。ガムラスタンを抜ける橋を渡り終わるくらいのあたりで「あと10分くらいだ〜」と意気込んでいると後ろにいた男がライターをつける仕草をしながらスウェーデン語で何か声をかけてきた。

 

一瞬呆けたあと、ライターだと理解して「ごめんないんだよ〜」と歩き続けた。するといきなり反対側から別の男が殴ってくるではないか。いや、正確には殴られたのかも覚えていない。ただ気づいたら地面に倒れていた。そして条件反射か仰向けに倒れながらもカメラを両手で抱え込み守る姿勢を取っていた。

 

え?これってなに?そういうこと?

突然の出来事に頭は追いつかない。男たちは倒れる僕に容赦無く襲いかかってきていた。横から蹴られていたことだけは覚えているが何をされていたのかはあまりはっきり覚えていない。ただ必死にカメラを両手で守ろうとはしていた。殴られたり蹴られたりしてたはずだが痛みはなかった。もしかしたら覚えてないだけかもしれないが。男たちは僕から全てを毟り取ろうとするかの勢いでニット帽、ストールとを投げ捨てていった。芋虫のように小さく体を丸める僕とそれを上から蹴ったり殴ったりする2人組。漫画の中のいじめとかでよくあるシーンだなぁ…

 

不思議なもので必死に抵抗していたこの時、何故か客観的に襲う2人組と横たわる僕を上から客観的に眺めていた気がする。

「どうしよう財布とかケータイとか全て差し出してカメラだか許してもらおうか」

「カメラのメモリーカードだけなんとか抜き取れないだろうか。あ、でもよかった。昨日までの分は全部バックアップ取ってあるや。よかった…」

そんなことを思いながら上から見つめる僕と、「カメラ、ノー、プリーズ」と無我夢中でわけもわからぬ状況に抵抗するふたりの僕がいた。そしていつの間にか僕の手からはカメラがなくなっており、ちぎれたカメラのストラップだけが残っていた。

 

カメラを奪った方の男が逃げようとする。どちらかが「フォーン、フォーン!」と叫んでいた。僕の携帯も欲しいのだろう。携帯なんてどうでもいい。だけどカメラだけはだめだ。それだけは絶対にダメなんだ。他の何をあげてもいいからカメラだけは返してくれ、僕はそんなことを泣き叫んだ。

 

思ったより抵抗されて時間がかかったのか、携帯などは諦めてカメラを持った男を先頭が駆け出し、もう一人がそれを追っていった。「カメラだけは奪われちゃダメだ。」その一心から僕は何も考えずに立ち上がりすぐに2人組を追いかけた。橋の上でカメラを持った男を先に行かせてもう一人が僕の前に立ちふさがる。情けないことに恐怖したのか僕はここで止まってしまった。彼と対峙する形で「カメラを、カメラだけは返してくれ」と叫んでいた。

 

近くにいた通行人にもわけもわからず「泥棒、僕のカメラ」と泣き叫んで訴えかけていた。実際にはその通りの言葉が言えていたのかはわからない。しかし何組かいた通行人は少しこっちを一瞥するも面倒ごとに巻き込まれたくないのか、頭のおかしなやつだと思ったのか、それとも本当に何と言ってるのか理解できなかったのか立ち去ろうとする。話を聞こうとする人はおろか、僕の先にいる男など状況を見ようとする人もいなかったように感じる。この時ほど人に絶望したことはないだろう。何故こんなに必死に訴えかけているのに何も答えようとはしないのか。所詮他人がどうなろうと知ったことじゃないのか。

 

男は僕と一定の距離がある状態で「カメラ?そんなもんどこにある!知らねえよ!」と言い放ってくる。貴様よくもしらじらと。今お前の背後でまさに仲間が持って行ってるじゃないか。しかし男に殴りかかることも、走ってカメラを持つ男を追うこともせず、ただ泣き叫んで懇願していた自分自身が一番惨めで許せなかった。もしかしたら、僕は本気で泣き叫んでカメラが僕にとってどれだけ大事なものなのか必死に説明すれば彼らは理解し、同情し、返してくれるかもしれない。そんな風に思っていたのかもしれない。ありもしない人間の他人への同情に期待したのだ。そんなことをしていうるうちに対峙していた男も走り去ってしまった。

 

僕は無力感と絶望にその場で崩れ落ちた。何故みすみす行かせてしまったのか。何故ただ泣き叫ぶしかできなかったのか。何故他人に頼ろうとしたのか。何もかもが嫌だった。このまま橋の下の冬の川へ飛び込んでやろうかと思った。

 

そこへ一人の若い男の子が後ろからやってきて「どうした?大丈夫か?何があった?」と訪ねてくる。僕は「カメラ」以外の言葉を何も言えていなかった気がする。正直いうとこの男の子は2人組と同じく黒人だったのもあり、はじめ近づいてきたときこの男は犯人のどっちかだったように思っていた。しかしそう思ってすら力なく「カメラ」を懇願することしかできなかった僕は本当にパニックだったのだろう。

 

男の子が僕の話を聞こうとしていると周りに3組ほどの集まりがやってきて、次々に「どうしたんだ?」と聞いている。誰も状況を理解していないようだ。この時何で誰もわからないんだ、と僕は憤慨していた気がするが、改めて考えると僕の言葉は本当に意味不明だったのかもしれない。一人のおばあさんは僕が酔ってるんではないかと聞いてくるほどだ。もちろんそんなわけがない

 

ようやく状況を理解した彼らは「身体は大丈夫か?」「病院にいく?」と聞いてくる。「身体は全く大丈夫だ。ただカメラが」と僕がいうと「ならよかった。身体が一番大事だ。カメラなんて重要じゃない」そう皆が同じようなことを返してきた。

それを聞いて僕は本当に気が狂いそうになった。「重要じゃない?」「カメラが?」もちろん彼らが言っていたことは正論であり、正しいことに違いはない。しかし本気で「カメラ以上に重要なことなんて何もないんだ」と訴えた。しかし彼らはカメラは帰ってこない、そう諭してくるし、僕もそれを理解するくらいの正気はあったようだ。

 

 

 

「カメラが手元にない」

 

この事実だけでここまで不安になるとは。どれだけ自分の人生がカメラを拠り所にして、頼っていたのかがよくわかる。これはカメラに人生を賭けているとかそんな高尚なもんじゃない。カメラが僕の人生の生きるための言い訳だったんだ。カメラに頼って生きる方向を見ていたんだ。そんなことを知らされた。

 

 

その後、彼らも観光客であるようで、僕の身体的な異常がないことを確認できると、いつまでもカメラに異常なまでに固執する変なやつの相手をしたくなくなったのか、一人また一人とそれぞれの方向へ逃げるように去っていった。最後まで一緒に励ましてくれたトルコ人のおっちゃんが「泣くな。お前はまだ若い。強いんだ。働いて稼いでまた新しいカメラを買うんだ。大丈夫だ。」って別れ際まで力強く言ってくれていたがをぼんやりとした頭に残っている。僕の目が濡れていたせいか、彼の目元も光って見えた

 

 

 

1人宿へ帰り思うこと

 

そうして一人になり、泣いたり、荒れたり、落ち込んだりとふらふらしながら一本道を宿へと向かう。

 

はじめに襲ってきた感情は『無力感』だった。何故僕はたった二人を相手にもっと抵抗しなかったのか。そんなに人生を助けてもらっているほど大切なカメラを守るために少しでも体を張れなかったのか。街灯もあり、近くにもおそらく人はいた。長時間乱闘になっていれば、彼らがきっと助けてくれたはずだ。僕はあの時恐怖で動けなかったのか、何にせよ情けなくて、悔しくて仕方がなかった。

 

次にきたのは2人組に対する『怒り』と『憎悪』だった。家族にこれを話したら、きっと心配された後に「そんな危険なところに1人で行くから」とか「カメラを首からぶら下げてるなんて油断している」それはきっと真っ当な反応であり正しいだろう。間違いなく僕は疲れ切っていたし、治安がいいと油断していたし、カメラをぶら下げていた。しかし、だからと言って僕が責められる言われは1カケラもないはずだ。2000パーセント全部あいつらが悪い。あいつらのせいでしかない。僕の大切な大切な相棒のカメラ。お前らがいくらで売るっていうんだ。何も知らない奴が、ロクでもない質屋で売っても大した価値にもならないだろうに。お前らが売る金額以上を払うから返せ宝物を。それは金額以上の価値が僕にはあるんだ。価値もわからないお前らが小銭稼ぎのために奪っていいものじゃないんだよ

 

そして『たられば』を思う。これは本当に夢じゃないのか?という思いからか、「あの時すぐに何か大声で叫んでいれば怯ませたかもしれないし、周りの人の目も集まったかもしれない」「あのとき疲れてたから素直にトラムに乗って帰っていればこんなことにはならなかっただろう」「バッテリーもほとんどないんだから大人しくカメラはしまっておけば見られなかったかもしれない」「Google mapの表示していたルートの別の方へ行っていればこの橋を渡らなかったのに」思い返すと止まらない。

 

そしてふただび『無力感』そして『虚無感』がきた。やっぱりカメラを守りきれなかったのは自分自身だし、カメラも失い、旅ももうできなくなるかもしれない。僕には何も残らなくなってしまう。どうやってこれから生きていけばいいんだ。自分はどんな顔して、どんな風に生きているのかがわからなくなってしまう。

 

一番大切で守りたかったカメラだけを奪われて、他の携帯や財布やリュックも何も手をつけられなかったなんて皮肉だろう。

 

 

宿に帰ると、偶然そこには日本人の男性がいて、バーっと全部話をして落ち着かせてもらった。本当に助かった。そうじゃなかったら一人で孤独と虚無感に打ちひしがれていただろう。とてもじゃないが英語で何かを喋る気分にはなれなかった。

 

さらに悪いことには、保険会社に連絡したところ期限の関係で保険が降りないとのこと。これは完全に勘違いしていた僕のミスだが。最悪だ。

 

 

それでも彼に話を聞いてもらいながら、少し笑い話にして気紛らわせにはなったかと思う。さて明日からの旅の予定も、これからのカメラ生活も色々考えなきゃいけないな。

 

 

これはまさに事件当日の深夜に書きなぐっているものなので、まだ混乱していておかしなことを書いているかもしれない。文章もめちゃくちゃで読みづらいと思う。それでもこの今この瞬間に感じたことを書き残しておきたいと思ったのでただ書きなぐった。何か思うところ・アドバイスなんかある人がいたら是非連絡してほしいです

 

そして良かったらこの話を笑ってやってください。みんなが笑い話にしてくれれば僕の中でも落ち着いて笑い話にできると思うんです。きっともうどうしようもないからクヨクヨしてても仕方ないのはわかってるんです。だからどうか笑ってやってください。

 

また続報書きます。

(身体が今になって痛み出してきた…興奮作用切れたか…)